オーストラリア、シドニーでの『ライフ』をブログに。
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言葉とアクション
2008-10-28-Tue  CATEGORY: メッセージ
神さまにとっては言葉とアクションは切り離せないもの。
神さまの言葉=アクション

神さまは自分の言葉に忠実。言ったことは必ず行う。
アブラハムにした約束の言葉も忠実に守った。
ヨセフに与えた夢を神様は実現させた。
モーセに言ったことを神さまは行った。
ヨシュアにも、ギデオンにもダビデにも。
聖書は神さまの言葉が実現していったことが書かれている。

これは私たちに対しても同じ。神さまは私たちに約束したことを必ず実現してくれる。

ヨハネ1:1-4,14
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

神は言葉によってすべてを創った。そこで終わりではない。
言葉はとなって私たちの間に住まわれた。

私たちの主イエス・キリストは人として地上に来られ、私たちの光となり、いのちとなってくれた。

旧約聖書の中にはイエス様が救い主として私たちのところへ来てくれる預言がたくさん書いてある。
それがただの文字、ただの記録ではなく、本当に私たちの目に見える形で、私たちと同じ体を持った人として、痛みや苦しみを感じられる人間としてイエス様はこの世に来てくれた。言葉が実践された、言葉が現実になった。

神さまにとって言葉はアクション。
私たちも言葉を文字と受け取るのではなく、言葉を読んで、受けてそれを生きていこう☆☆
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聖書=全ての答えが見つかる本
2008-10-27-Mon  CATEGORY: メッセージ
聖書は他のどんな本とも違う。

神さまの生きた言葉が詰まっている本。
読めば、神さまから直接語ってもらえる本。
私たちの霊的なお腹を満たすことが出来るパン。
人生を変える本。

私たちは この本の中に全ての答えを見つけることが出来る。

『心を開いて、正直に、続けて聖書を読むとき、神さまはそのページごとに私たちに出会い、魂に平安を語ってくれる。』?ダラス・ウィラード

神さまはこの本の1ページから私たちにであってくれる。
どんな状況の中でも変わることがない神様の言葉が魂に平安をくれる。

どうやって聖書の中から人生の答えを見つけていくのか 
3つのポイント

?毎日デボーション(聖書を読んだり、祈ったりする)の時間を持つ
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。ヤコブ4:8
James 4:8 Draw near to God and He will draw near to you.

当たり前だけど、読まないとはじまらない。分かりにくくても、少しずつでも読み進める。
そしてジャーナルをつける。分かったこと、分からなかったこと、実践したいこと、祈っていることを書いていく。何時間もする必要はない。15分で出来る。決まった時間にしないといけないわけでもない。少しでも自分の霊を満たすパン(食べ物)を食べないと痩せ細っていってしまう。

デボーションをしてジャーナルをつけていくと自分の成長の過程が見れる。
1ヶ月前は 「神さま、助けて下さい!もうダメです!」NGワードだらけでも、
きっと1ヵ月後には「神さまありがとう!ハレルヤ」に変わっているはず。

?聖書の言葉を自分のものとして受け取る
神さまの言葉は私たちに今日も語りかける。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じ(ヘブル13:8)とあるように聖書の中の真理は変わることがない。聖書を読むときに、これは自分のために書かれたんだ。自分に語ってくれているんだと確信して読む。
神さまがヨシュアにした約束「私はモーセとともにいたようにあなたと共にいよう。わたしはあなたを見放さず、見捨てない。」ヨシュア1:5は私にも、ここにいる一人ひとりにもあてはまる。
デボーションをするとき、神様が神さまの声であなたに語りかけていると思って読もう。

?読んだ言葉を実践する

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。
ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。」
ヤコブ1:22-25

聖書には人生全ての答えがある。
でもそれは取り扱い説明書のように答えが書いてあるものではない。
答案用紙のようにAの答えは○。Bの答えは×とかいうものではない。

聖書の言葉を受け止めて、それを実践して生きて行くときに答えが見えてくる。
聖書の言葉を自分が実際に生きたときに、アクションを起こしたときに与えられる答え。

デボーションを通して神さまから全ての答えを受け取ろう!!!!!


「キリスト教は他のどの宗教とも違う。他の宗教は人間が神を探さなければいけない。
でも福音は神が人間を探す物語だ。」デウィ・モーガン
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日本語訳聖書の歴史
2008-10-26-Sun  CATEGORY: メッセージ
★日本語訳聖書の歴史★

日本に聖書(ラテン語、日本語ではない)が入ってきたのは1549年。
フランシスコ・ザビエルが日本に来た時代。
1563年には宣教師によって福音書が訳されたらしいが焼けてしまい残ってはいない。
1613年頃には全新約聖書が訳され印刷されていたと記録があるが、これも焼けてしまい残っていない。

ギュツラフ:東南アジア(特に中国)で伝道をしていた宣教師。
中国では1823年に旧新約聖書の訳が完成していた。彼はマカオで3人の日本人に出会う。

1832年、鳥羽港を江戸へ向けて出航した船が、遠州灘で遭難し14か月間の漂流の後、北米西海岸に漂着した。生き残りは、船員14名中、岩吉(推定28才)、久吉(同15才)、音吉(同14才)の3名。

彼らは、ネイティブアメリカンに捕らえられ、奴隷のように酷使されていたが、ハドソン湾会社の支配人に助けられ、日本に送り返される途中でマカオに到着した。3名は、宣教師のカール・ギュツラフの家に滞在。

ギュツラフは何とかして、まだ見ぬ日本の人々に聖書を自分の言葉で読んでもらいたいと願っていた。ギュツラフはその祈りが聞かれたと感じ、3人から日本語を学び、持っていた英和辞典を頼りにヨハネの福音書とヨハネの手紙を訳した。

ギュツラフ『約翰(ヨハネ)福音之伝』
ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル。(ヨハネ1:1-2)
すごい訳だ!!!!

ちなみにこの聖書は、現存する最初の日本語聖書訳。

1856年開国後ペリー艦隊と一緒に来日したアメリカ人宣教師たちが新約聖書を訳しはじめる。
まだこの頃はキリスト教が禁じられていたので死を覚悟しての作業。
漢文からの日本語訳。(ヘブル原文からではない。)

その後日本人も加わり、1889年に日本で始めて旧新約聖書が完成された。

日本人による聖書が完成したのは第2次世界大戦後1955年のこと。
それまではアメリカ人宣教師を中心にして訳されたものだった。
これは今からたった53年前の出来事。(口語訳)

英語訳
ラテン語を理解できない人(学者や聖職者以外)たちは手にすることが出来なかった。聖書を英語(標準語)に直すことは許されなかった。でもその翻訳を命がけでした人達がいた。ジョン・ウィクリフ、ウィリアム・ティンデール。ティンデールはラテン語の聖書を英語に訳したことで処刑された。


日本に来た宣教師たちも、ティンデールも聖書は人を救いに導くことが出来ると確信していた。聖書なしには私たちは神さまを知ることができない。神さまからの約束を知ることも、自分がどういう存在かも、十字架の意味も、イエス様がどんな人生を歩んだのかも。

たくさんの人の命と犠牲によって訳された。
訳される前は読みたくても読めなかった。自分の国の言葉で読めなかった。ティンデールもいつの日か一人一冊聖書があることを夢みていた。私たちはいつでもこれを手にすることが出来る。自分の母国語で読むことが出来る。神様の肉声を聞く事が出来る。

だから・・・もっともっと聖書を読みましょう!!
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世界のひかり
2007-11-12-Mon  CATEGORY: メッセージ
またまたブログさぼり気味です。
でもガンバリます!

今日は先週のジャパサ(2007年11月4日)でのメッセージのポイントを載せたいと思いまーす。

マタイ5章14節から16節
リビングバイブル
「あなたがたは世の光です。岡の上にある町は夜になると灯がともり、誰にも良く見えるようになります。
あなたがたの光を隠してはいけません。全ての人のために輝かせなさい。
誰にも見えるように、あなたがたの良い行ないを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなた方の父をほめたたえるようになるのです。」

ここでイエス様は「私たちが世の中の光キラだと言っている。いや、言い切っている。
「○○をしたらひかりになれるよ」とか
「こんなことを達成したら、光になることが出来るよ」という預言じゃない。
もう完了しているかのようにイエス様は弟子たちにいった。

イエス様の弟子たちはごく普通の人たちだった。(もしかしたら普通以下?)イエス様がいろいろなたとえ話を用いて聖書の真理を語っても、ほとんどの場合において、彼らは察しが悪いというか、頭が鈍かった。

このマタイの箇所も弟子たちにとっては、「??????」だらけだったかもしれない。
「は?わたしたちが、世の光?」
「どうしてそんなことがイエス様に言えるんだろう?」 
「私がどんな人間か知ってるんだろうか?」
「学校でどんな成績をとっていたか知ってるんだろうか?」
「今までどんな人生を歩んできたか知っているのだろうか?」

こういう風にイエス様は私たちには到底思い得ないこと・想像さえできないことを語ってくる。
でも、神様の言葉は一言でさえ、私たちの人生を大きく変える力を持っている。
それは神様の言葉が真理だからです。

神様が私たちに投げかける言葉には力がある。
目的がある。
私たちの中にあるとは思えない可能性を 呼び覚ます!!

神様は何も無い所に言葉を与えて偉大なものを生み出すことが出来る。
貧乏で、弱くて、セルフイメージがかなり悪かったギデオンに「チャンピオン!」と語りかけて
実際に全くの負け犬だった彼をチャンピオンに大変身させた。

神様は言葉でこの世界を創った方。
その言葉には 絶大な力がある。神様は砂漠に泉をわきあがらせ荒野に川を流すことができる。

ポイント?;神様の言葉には力があることを知る&そしてそれを心を開いて受け取る

イエス様には弟子たちが世の中の光になるという確信があった。
弟子たちがイエス様の十字架という試練を乗り越え、復活という奇跡を見て、
迫害を受けながらもイエス様の教えたことを世界に伝えていくということをビジョンで見ていた。

イエス様は自分が世の光だから、私が世界に輝くから心配しないでと言ったのではなく 
「わたしの光を知った あなたがたが世の光。あなたが世界を変えていくんだよ」 
「あなたを使って、あなたを通して世の中が照らされていくんだよ」と言った。


ポイント?神様は私たちを世界に輝く光として計画を持っていろんな場所においてくれる。

光は暗いところで本来の力を発揮する。
太陽がなかったらいつも夜。夜景も暗いところで光が輝いているからきれい。

あなたの周りに暗やみがある?
生きる目的や意味を探している友達、希望を失った知り合い、失望の中を生きているひと。悩んでいなくても神様を知らなければその人には光がない。私も神様に出会う前は暗やみにいた。でも沢山の人がわたしの周りで輝いていた。光に導いてくれた。
神様は私たちを世界に輝く光として計画を持っていろんな場所においてくれる。

1)例えば、教会がなかなか成長しないと言われている日本。
その1番大きい都市東京に、あるオージーの牧師夫妻が送られ、彼らがはじめた
ジーザス・ライフ・チャーチは5年で500人以上の教会に成長して、来年から大阪でも
教会を始める。東京で沢山のひとの光として力強く輝き続けている。

2)来年南アフリカのケープタウンという街で 今までヒルソングの牧師をしていたフィル・ドゥーリーがヒルソング・アフリカを立てるために送られる。
ヒルソングのシニアパスターであるブライアンは
「アフリカにはたくさん神様を求めている・必要としている人たちがいるから、シドニーのヒルソングよりも大きくなるだろう」と言った。

3)ウガンダ(スキナー牧師夫妻)
エイズで両親を亡くした孤児たちに神様を伝えたい、お家を与えたい、夢を与えたい。そういったヴィジョンと共にウガンダで孤児院をはじめた。すでに何千人の子供達に影響を与えている。

そしてこれを読んでいるみなさんも!神様はたくさんの人の光として用いてくれる。

どこでも神様は光として用いてくれる。
例えば学校、職場、銀行、電車の中、あなたが住んでいるユニット。神様は暗やみがあるところに私たちを置いてくれる。神様は私たちの人間関係を用いて神様へと導いてくれることが多い。周りにいる人のお手本として、神様から受けた愛と希望によって輝くことができる。

ポイント?神様が私たちを輝かせてくれることを知る

ある人は 「あなた方は世の光である。あなたの光を人々の前で輝かせなさい。」と言われたら 「よし、頑張ろう!」とか
「うわープレッシャー。」と思うかもしれない。

クリスチャンにだってへこむ事もある。病気にもなる時もある。失敗もします。けんかもする。人間だから!

それでも神様は余裕で 私たちを光としてくれる。
イエス様が心の中にいて、いつも希望をくれるからどんな風が吹いてきて
光を消そうとしても、いつでも消えることなく輝くことができる。私たちがスゴイから世の光になるんじゃなくて私たちの中にいるイエス様が素晴らしいから私たちは輝くことができる。
世の光として輝こうと頑張らなくて、プレッシャーに感じなくていい。あなたの中にいるイエス様が輝いてくれるから。
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神さまに会いに行く 第2弾
2007-10-23-Tue  CATEGORY: メッセージ
昨日に引き続き 日曜日のメッセージの第2弾です。
写真を撮ってないのが残念でしたが(ほんと、わたしは写真撮らないブロガーです!)
黒いカッコいいシャツを着た涼くんは超シャープでした!

長いのでゆっくり読んでくださいね☆


ポイント? 神さまがあなたの力
詩篇84:5節  彼らの強み=力は神さまにあった。
もし誰かに「あなたの強みはなんですか?」と聞かれたら何と答えますか?

ほとんどの人が「○○が出来る」とか「粘り強い」とか 自分の才能、能力、特技などについて答えると思う。

でも私たちの本当の強みは神さま。自分の中に神さまがいればどんなことでも
乗り越えられるし、窮地に立たされても最強!



ポイント?  神さまの道を心に植えつける芽

5節を英語では、Who’s hearts are “SET”
心の中に存在するのではなく、心に根付いているという意味。
詩篇に出てくる人たちは神さまへの道を歩み、それなかった。

全て上手く行っているときは神さまの道を歩むのは簡単。でも、困難な道に出会うと、別の道を歩みたくなる。自分のやり方、自分が理解できるやり方でやりたくなってしまう。
そして、自分のやり方でやる、正当な理由を作ってしまう。
でも、私たちは、どんな状況の中でも神さまの道を進まなければならない。

私たちにはいつも選択の余地がある。
申命記30:19「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」

カバン盗まれ事件がっくり

2週間前シティで車の中に置いておいたカバンを盗まれた。その中には、クラスのノートすべて、神さまに語られたことや色んなアイデアを綴ったジャーナル、そして、プロの翻訳者の命とも言える電子辞書が入っていた。結構ショックだった。

シティから帰りの車の中でふと空を見ると、夕日がすごくきれいだった。
その夕日を見たとたん、神さまが語った。「この状況で、私が作った、この美しい夕焼けを楽しめますか?」
正直夕焼けなんてどうでも良かった。でも神さまは
「喜びなさい。楽しみなさい。なくしたものに心を奪われるのではなく、私に心を奪われなさい」って言ってくれた。

クリスチャンの歩みは、選択の連続。どっちを選べば良いかは自分が良く知ってる。
こんなに簡単な選択なのに、私たちは悩んでしまう。
明らかに死につながっているところに捕らわれて、いのちにつながっているものを選択しない。

ローマ12:2で「心の一新によって自分を変えなさい」と書いてある通り、自分の考え方自体を変えないと無理なんです。

これはすぐにできるものではない。
思考を意識して神さまの道をSetしなければならない。



ポイント? 神さまに会うことを目的にするキラ 

7節 「彼らは力から力へと進み、シオンにおいて神の御前に現われます。」

彼らの目的は、神さまに会いに行くということだった。
その旅の途中で祝福されることではなく、あくまで神さまに会いに行くこと が目的だった。

この世界では、いろんな人がいろんな目的を持って人生を歩んでいる。
成功すること、お金持ちになること、モテル人になること、認められる人になること、普通の生活をおくること、いい人になること、夢をつかむこと、いい家庭を築くこと、いい教会を作ること、いいクリスチャンになること、幸せになるということ。

全部、それ自体が悪いわけではない。でも、これらのどれを自分の目的にしても、本当の満足感は、決して味わえない。

神さま を目的にしない限り、心の穴は、決して埋まらない。

牧師になったり、フルタイムのミニストリーをすべきだ、ということではない。仕事をしている中で、学校に通う中で、家庭を築く中で、神さまに会うということを目的にすること。神さまと一緒にいることを目的にすること。

私たちの目的は、神さまの知識を得ることではない。奥義を知ることでもない。クリスチャンとして成長することでもない。それは、あくまで手段や過程。

神さまのところに向かうとき、私たちはどんどん力から力へと進むことができる。どんどん神さまに似てきて、神さまがしたいことと同じことを、自然にできるようになる。

こうして私たちが神さまの前に現れたとき、
なんとも言えない力、温かさ、安心感、喜びに包まれる。そして、何も言えなくなる。
ただ、「Oh my God!」としか言えない。

ふと自分を見ると、今までと全く違う自分になっている。
ふと振り返ると、祝福だらけになっている。
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アップロードファイルなんて素晴らしいメッセージだ!!!!!!!!書きながらまた感動してしまいました。アップロードファイル
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